大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和59年(行ウ)47号 判決

原告 奈良賀男

右訴訟代理人弁護士 平賀睦夫

同 渡邉務

被告 国

右代表者法務大臣 林田悠紀夫

右指定代理人 野﨑守

〈ほか四名〉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金九三八万三二八三円及びこれに対する昭和五七年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  主文同旨

2  仮執行宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、昭和一七年九月高等試験行政科試験に合格し、同年九月二五日外務属に任ぜられたが、同月二九日文官分限令一一条一項により休職となり、同月三〇日海軍主計見習尉官に任ぜられ、以降、昭和一八年一月一五日海軍主計中尉に、昭和一九年五月一日海軍主計大尉に各任ぜられ、同年九月二六日海軍武官服役令により服務期間を延長され引き続き海軍主計大尉として勤務した。

(二) 原告は、昭和二〇年八月一五日の終戦をオーシャン島において海軍第六七警備隊付きオーシャン島分遣隊主計隊長として迎えたが、同月二〇日過ぎころ、原告の反対にも拘わらずオーシャン島分遣隊指揮官の命令により島民殺害行為が実行されたことから、昭和二一年二月初め、他の将校らとともに戦犯容疑者として豪州軍に逮捕・拘禁され、豪州裁判ラバウル軍事法廷において絞首刑の宣告を受け、同年四月二六日刑二〇年に減刑されてマヌス島で服役した後、昭和二八年八月八日横浜に送還された上、巣鴨拘置所に移送され、その後、同所で服役した。そして、昭和三一年八月一五日釈放された。

(三) 原告は、昭和三一年九月一日外務省に復帰し、大臣官房書記官、同儀典官、在シアトル総領事、在アルゼンチン大使館参事官、衆議院渉外部長、大臣官房審議官などを経て、昭和五〇年二月二六日特命全権大使に任命され、同日キューバ国駐箚に、昭和五二年五月一〇日コスタ・リカ国駐箚に各任ぜられ、昭和五七年八月六日退職した。

2  ところで、原告の退職手当算定の基礎となる在職期間は、昭和一七年九月から昭和五七年八月までの四〇年とすべきであり、これを基礎として算定すると、原告が支払いを受けるべき退職手当金額は金五三九一万八八六五円となる。しかるに、被告は、昭和一七年九月から同年一二月までの期間及び昭和二一年五月から昭和三一年八月までの期間合計一〇年八か月間を退職手当算定の基礎となる在職期間から除外して退職手当を算定し、昭和五七年九月三日、原告に対し、右の算定に基づく退職手当金四四五三万五五八二円を支払ったのみである。

よって、原告は被告に対し、退職手当請求権に基づき、本来支払いを受けるべき退職手当と既に支給済みの退職手当との差額金九三八万三二八三円及びこれに対する退職手当の支給日である昭和五七年九月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

(請求原因に対する認否)

1 請求原因1の事実について

(一) 同1(一)の事実は、原告が昭和一七年九月二九日外務属を休職になったとの点を除き、その余は認める。原告は、右同日願いにより退職したものである。

(二) 同1(二)の事実のうち、原告が戦犯容疑者として豪州軍に逮捕・拘禁されたこと、原告が昭和二八年八月八日横浜に送還された上、巣鴨拘置所に移送され、その後、同所で服役し、昭和三一年八月一五日釈放されたことは認め、その余は知らない。なお原告の戦犯刑が確定したのは昭和二一年四月二六日である。

(三) 同1(三)の事実は認める。

2 請求原因2の事実のうち、被告が、昭和五七年九月三日、原告に対し退職手当金四四五三万五五八二円を支払ったことは認め、その余は否認する。

(被告の主張)

1 被告は、国家公務員等退職手当法(昭和六一年法律第九三号による改正前のもの。以下「退職手当法」又は単に「法」という。)七条に基づいて原告の退職手当を算定するに当たり、原告の左記①ないし⑤の職歴のうち、③及び⑤の在職期間(合計二九年四か月)を退職手当算定の基礎となる勤続期間と判断したが、①、②及び④はこれに含まれないと判断して除外したものである。

① 昭和一七年九月二五日から同月二九日まで(外務属、なお上記二九日に依願免本官)

② 昭和一七年九月三〇日から昭和一八年一月一四日まで(海軍主計見習尉官、ただし海軍経理学校補修学生)

③ 昭和一八年一月一五日から昭和二一年四月二五日まで(海軍主計中尉及び同大尉)

④ 昭和二一年四月二六日から昭和三一年八月一五日まで(戦犯として抑留・拘禁)

⑤ 昭和三一年九月一日から昭和五七年八月六日まで(外務事務官、特命全権大使)

2 退職手当法七条一項は「退職手当の算定の基礎となる勤続期間の計算は、職員としての引き続いた在職期間による。」と規定し、他方、同法附則九項は、右規定の特則として、「昭和二〇年八月一五日において……政令で定める者で同日において本邦外にあったもののうち、昭和二八年八月一日以後においてその本邦に帰還した日から政令で定める期間内に再び職員になったもの……の勤続期間……については、政令で別段の定めをすることができる。」と規定し、この規定を受けて同法施行令(以下「施行令」という。)附則一〇項、五項は、右「政令で定める者」に関して、(1)外地官署所属職員(一号)、(2)外国政府職員等(二号)、(3)軍人軍属(三号)を掲げ、また施行令附則一一項は、右「政令で定める期間」について「三年(特殊の事情があると認められる場合には、各省各庁の長が内閣総理大臣と協議して定める期間を加算した期間)とする。」と規定し、更に施行令附則一三項は「法附則第九項に規定する者については、外地官署所属職員等であった期間は、その者の昭和二八年八月一日以後において最初に開始する職員の……在職期間に引き続いたものとみな」すと規定している。

そこで、これらの規定の定めるところに従い、職歴のうち、①、②及び④を除外した理由を敷衍して述べる。

(一) 職歴①については、外務属が施行令附則一〇項、五項が「政令で定める者」に関し掲げる何れにも該当しないので、退職手当の算定の基礎となる勤続期間に含まれないことは明らかである。

(二) 職歴②については、海軍主計見習尉官が施行令附則一〇項、五項の「軍人軍属」に当たるかが問題となるが、退職手当法及びその付属法令中には、この点に関する規定がない。しかし、海軍主計見習尉官は、昭和二一年法律第三一号による改正前の恩給法(以下「旧恩給法」という。)の上では準軍人として掲げられていて軍人軍属とは異なる扱いを受けていたこと、原告は、海軍主計見習尉官の期間、海軍経理学校補修学生であって、右準軍人が予定している戦務や戒厳地境内の勤務等に服していたわけでもないことを勘案すると、本件において、海軍主計見習尉官は「軍人軍属」に含まれないと解すべきである。したがって、職歴②の海軍主計見習尉官は、施行令附則一〇項、五項が「政令で定める者」に関し掲げる何れにも該当せず、職歴②は退職手当の算定の基礎となる勤続期間に含まれない。

(三) 職歴④については、豪州裁判ラバウル軍事法廷で宣告された二〇年の刑が昭和二一年四月二六日確定したことにより、原告は同日付けで予備役に編入され軍人としての身分を喪失したのであるから、同日以降の原告が施行令附則五項が「政令で定める者」に関し掲げる何れにも該当せず、したがって、退職手当の算定の基礎となる勤続期間に含まれない。すなわち、(1)昭和二〇年七月二六日、連合国は我が国に対し、「ポツダム宣言」を発して日本国軍隊の完全な武装解除と戦争犯罪人の厳重な処罰を含む無条件降伏をなすよう要求し、これを受け入れた我が国は同年九月二日、連合国に無条件降伏し、同月二〇日、大日本帝国憲法八条一項に基づき、政府は「ポツダム宣言」の受諾に伴い連合国最高司令官のなす要求を実施するため特に必要ある場合には命令をもって所要の定めをすることができる旨の勅令(勅令第五四二号)が発せられた、(2)昭和二一年一月四日、連合国最高司令官代理H・W・アレンは、日本国政府に対し、「好マシカラザル人員ノ公務ヨリノ解任ニ関スル件」と題する覚書を発し、ポツダム宣言を実行するため戦争犯罪人(釈放又は無罪放免されない限り戦争犯罪容疑者として逮捕された全ての者)等を罷免するよう命じた、(3)そこで、同年二月二七日、前記勅令第五四二号に基づき、右覚書該当者を退官又は退職させる旨の勅令(勅令第一〇九号)が発せられ、同月二八日、右勅令第一〇九号を施行するため閣令・内務省令第一号が発せられた、(4)同年九月一七日、右勅令第一〇九号を受けて復員庁から「元海軍軍人軍属戦犯者(容疑者をも含む)身上及び諸給与の取扱ひに関する件通牒」が発せられ、海軍軍人で戦争犯罪者として抑留・逮捕され又は有罪判決を受けた者は、連合国司令部又は現地部隊責任者から抑留・逮捕日を正式通告・報告された場合にはその抑留・逮捕の日に、その他の場合には有罪判決の日に、予備役編入、充員召集解除、免官又は解職になったものとして、その身上及び諸給与の取扱いを処理する旨定められた、(5)かくして原告は、豪州裁判ラバウル軍事法廷で宣告された二〇年の刑が昭和二一年四月二六日確定したことにより、同日付けで予備役に編入され軍人としての身分を喪失したのである。

なお原告は、後記のとおり、厚生省援護局長が原告について昭和二〇年九月三日(日本国が無条件降伏した日の翌日)から昭和二八年八月八日(原告が横浜に送還された上、巣鴨拘置所に移送された日)までの期間を外国鎮戍の任にあったものとして取り扱ったこと(なお、この事実は認める。)をもって、被告国が原告の軍歴を承認しているものである旨主張するが、厚生省援護局長のこのような取扱いは、拘禁された期間を在職年として取り扱うことはしないものの、特にこれを加算して恩給額を算定するという恩給法上の特殊かつ恩恵的な規定(昭和三〇年法律第一四三号により追加された恩給法附則二四条の三)に従ってされたものであって、原告が抑留・拘禁された期間を現役軍人としての在職期間と認めたわけではない。

三  被告の主張に対する原告の反論

1  職歴①について、被告は外務属が施行令附則一〇項、五項が「政令で定める者」に関し掲げる何れにも該当しないと主張するが、外務属とは現在の外務事務官に相当する国家公務員であり、退職手当算定に当たっては退職手当法七条三項により「職員としての引き続いた期間」(同条一項)当るというべきである。

2  職歴②について、被告は海軍主計見習尉官が施行令附則一〇項、五項が「政令で定める者」に関し掲げる何れにも該当しない旨主張するが、海軍主計見習尉官は紛れもなく現役の武官であり国家公務員であることは明白である。なお海軍給与令によれば海軍主計見習尉官が「軍人」とされていることは疑問の余地がない。

3  職歴④について、原告は豪州裁判ラバウル軍事法廷で宣告された二〇年の刑が昭和二一年四月二六日確定したことにより同日付けで予備役に編入され軍人としての身分を喪失した旨被告は主張するが、以下の理由により、右主張は失当である。すなわち、(1)原告に対する軍事裁判は、なんら戦犯としての責任を負うべきいわれのない者を有罪とした誤った裁判であるが、原告がこのような誤った裁判を受けたのは、被告国が原告に対する自国民保護権を行使しなかった結果であるから、被告自らが右のような軍事裁判を根拠として原告の公務員たる身分の喪失を主張するのは失当である、(2)原告は、昭和二一年四月二六日以降も実質的には軍人の身分を喪失しておらず、少なくとも昭和二八年八月八日までは外国鎮戍の任にあったもので、厚生省援護局長が原告について昭和二〇年九月三日(日本国が無条件降伏した日の翌日)から昭和二八年八月八日(原告が横浜に送還された上、巣鴨拘置所に移送された日)までの期間を外国鎮戍の任にあったものとして取り扱っているのは、被告国が原告のこのような軍歴を承認していることにほかならない、(3)仮に被告がポツダム宣言の受諾に伴う一連の諸法令等により原告の軍人としての身分を喪失させる手続をとったとしても、日本政府の統治権の及ばない外地に放置されていた原告にはそれらの法令の効力が及ぶものではない、(4)仮に原告に対し右諸法令の効力が及ぶとしても、罷免ないし解職するには当事者にしかるべき手続をもって通知する必要があるところ、原告は予備役編入の通知は勿論のこと、免官又は解職の通知を受けたこともない。

なお、被告は、前記のとおり、厚生省援護局長の右のような取扱いは、原告の戦争犯罪人として拘禁された期間を在職年として取り扱ったものではなく、特にこれを加算して恩給額を算定するという恩給法上の特殊かつ恩恵的な取扱いをしたものであると主張するが、この点を規定する昭和三〇年法律第一四三号により追加された恩給法附則二四条の三の規定は法文上も「在職年の計算」と明示しており、被告の主張は独断的である。また、昭和二七年四月二七日の講和条約の発効により連合国の我が国に対する占領は終了しポツダム緊急勅令などのいわゆる占領法令の存在理由はなくなったが、我が国が独立国家としての主権を回復したことに伴い、もろもろの角度から占領時代の特殊な法体系が再検討され、右昭和三〇年法律第一四三号による恩給法の追加改正もこの一環としてされたものであり、右恩給法の追加改正が恩恵的措置によるものでないことは明白である。原告と海軍主計の同期生である河角泰助は、原告と同様に豪州関係の戦争犯罪人としてラバウル・マヌスの両収容所に抑留され、釈放後厚生省に復帰し総理府社会制度審議会事務局長を最後に退職したが、その退職手当の算定に当たっては戦争犯罪人としての抑留期間が在職期間に通算されており、この取扱いが本件の先例とされるべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実について

1  同1(一)の事実は、原告が昭和一七年九月二九日外務属を休職になったとの点を除き、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告は右同日願いにより外務属を退職したものであることが認められる。

2  同1(二)の事実のうち、原告が戦犯容疑者として豪州軍に逮捕・拘禁されたこと、原告が昭和二八年八月八日横浜に送還された上、巣鴨拘置所に移送され、その後、同所で服役し、昭和三一年八月一五日釈放されたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告は昭和二〇年八月一五日の終戦をオーシャン島において海軍第六七警備隊付きオーシャン島分遣隊主計隊長として迎えたこと、原告は昭和二一年四月二六日、二〇年の戦犯刑が確定したこと、その後、原告は、昭和二八年八月八日横浜に送還された上、巣鴨拘置所に移送されるまでの間、ラバウル及びマヌス島において服役したことが認められる。

3  同1(三)の事実は当事者間に争いがない。

二  右の事実によれば、原告の職歴は、被告が主張する職歴①ないし⑤のとおり区分することができるので、以下、職歴①、②及び④が退職手当算定の基礎となる勤続期間に含まれるかどうかについて検討する(職歴③及び⑤が退職手当算定の基礎となる勤続期間に含まれることは、当事者間に争いがなく、原告が既に支払いを受けた退職手当は、右職歴を基礎として算定したことが認められるから、この点については改めて判断しない。)。

退職手当法は、昭和二八年八月一日以降に退職した国家公務員の退職手当について適用される(同法附則一項)から、昭和五七年八月六日に退職した原告の退職手当は当然ながら退職手当法の規定に従って算定されることになる。ところで、法七条一項は、「退職手当の算定の基礎となる勤続期間の計算は、職員としての引き続いた在職期間による。」と規定する。ここに「引き続いた在職期間」とは職員としての身分を保有している期間が一日以上の空白がなく文字どおり引き続いていることをいうが、他方、法は、法律制度の変遷や終戦前後の特殊事情などを考慮して、この原則に対する幾つかの特例を定め、一定の条件のもとで、職員以外の者としての在職も職員としての在職期間に含めるとか、途中に一日以上の空白があるときでも引き続いた在職期間として扱うことを認めている。法附則九項は、このような特例の一つであって、「昭和二〇年八月一五日において……政令で定める者で同日において本邦外にあったもののうち、昭和二八年八月一日以後においてその本邦に帰還した日から政令で定める期間内に再び職員になったもの……の勤続期間……については、政令で別段の定めをすることができる。」と規定している。そして、この規定を受けて、施行令附則一〇項、五項は、右「政令で定める者」を、(1)外地官署所属職員(一号)、(2)外国政府職員等(二号)、(3)軍人軍属(三号)と、また施行令附則一一項は、右「政令で定める期間」について「三年(特殊の事情があると認められる場合には、各省各庁の長が内閣総理大臣と協議して定める期間を加算した期間)とする。」とそれぞれ規定し、更に施行令附則一三項は「法附則第九項に規定する者については、外地官署所属職員等であった期間は、その者の昭和二八年八月一日以後において最初に開始する職員の……在職期間に引き続いたものとみな」すと規定しており、結局、法附則九項に規定する者については、特例として、外地官署所属職員等であった期間が昭和二八年八月一日以後における職員としての在職期間に引き続いたものとして退職手当の算定の基礎となる勤続期間に含まれることになる。

これを原告についてみると、前記のとおり、原告は昭和二〇年八月一五日において海軍主計大尉として本邦外にあったのであるから、法附則九項の適用対象となりうるところ、右「政令で定める期間内」については、原告は昭和二八年八月八日横浜に送還されたので、この日が「本邦に帰還した日」となり、外務省に復帰したのは昭和三一年九月一日であるから、復帰したときには既に右「本邦に帰還した日」から「三年」(施行令附則一一項)を経過していてそのままでは法附則九項の適用の余地がないことになるが、弁論の全趣旨によれば、原告については「特殊の事情」があるとして、施行令附則一一項に基づく外務大臣と内閣総理大臣との協議が行われ、その結果として法附則九項の適用が可能になったことが認められる。そこで、以下では、右のような経緯を踏まえて、原告の職歴①、②及び④について、具体的に法附則九項の適用を検討する。

1  職歴①について

外務属は施行令附則一〇項、五項が「政令で定める者」に関し掲げる何れにも該当しないから、これについて法附則九項が適用されないことは明らかである。そこで、職歴①について法七条三項が適用されるかどうかを検討するに、前記のとおり、原告は願いにより外務属を退職した日の翌日に海軍主計見習尉官に任ぜられ海軍経理学校補修学生となったのであるから、仮に職歴②について法附則九項が適用され退職手当の算定の基礎となる勤続期間に含まれる場合には、これに引き続いた在職期間として職歴①も退職手当の算定の基礎となる勤続期間に含まれる可能性がないではない。しかしながら、後記2のとおり、職歴②については法附則九項が適用されず退職手当の算定の基礎となる勤続期間に含まれないので、法七条三項が適用される余地はなく、したがって、職歴①は退職手当の算定の基礎となる勤続期間には含まれないことになる。

2  職歴②について

ここでは、海軍主計見習尉官が施行令附則一〇項で引用する同五項の「軍人軍属」に当たるかどうかが問題となるが、次に説示するとおり、「軍人軍属」には当たらないと解するのが相当である。すなわち、退職手当法及びその付属法令中には、この点に関する規定がないので、海軍主計見習尉官の性質のほか、海軍の見習尉官を準軍人として掲げていた旧恩給法の取扱い等を勘案して解釈すべきである。原告は、海軍主計見習尉官は現役の武官であり、海軍給与令の上では見習尉官が軍人とされていることに疑問の余地はないと主張するが、本件では、むしろ、見習尉官を準軍人としている旧恩給法の取扱いを参酌するのが相当である。ところで、旧恩給法においては、準軍人としての在職年月数は公務員としての在職年に通算されるが(旧恩給法四二条一項二号)、準軍人としての在職期間とは、準軍人としての就職の日から退職の日までをいい、「準軍人ノ就職トハ戦務、戒厳地境内ノ勤務又ハ外国ノ鎮戍ニ服スルコトヲ謂ヒ退職トハ其ノ勤務ヲ終ルコトヲ謂フ」(同法二七条三項)とされている。つまり、恩給は社会保障的性格の強いものであるが、そこでも、準軍人としての在職年月数は、当然に公務員としての在職年に通算されるのではなく、戦務、戒厳地境内の勤務又は外国の鎮戍に服した期間に限って通算されていたのである。ところが、弁論の全趣旨によれば、原告は、海軍主計見習尉官の期間中は、海軍経理学校補修学生であって戦務、戒厳地境内の勤務又は外国の鎮戍に服していなかったと認められるばかりでなく、海軍経理学校補修学生たる海軍主計見習尉官は主計士官となるための教育、訓練を受けるものであるというその性質を勘案すると、賃金の後払い的性格が混在する退職手当においては一層その算定の基礎となる期間には算入されないと解するのが合理的である。したがって、本件においては、海軍経理学校補修学生たる海軍主計見習尉官は施行令附則一〇項で引用する同五項の「軍人軍属」に含まれないというべきであり、同項の定める他の何れにも該当しないことは明らかであるから、職歴②は退職手当算定の基礎となる勤続期間に含まれない。

3  職歴④について

ここでは、昭和二一年四月二六日に原告の二〇年の戦犯刑が確定したことの法的取扱いが問題となる。すなわち右刑の確定により、原告が施行令附則一〇項で引用する同五項の「軍人」としての身分を喪失したか否が、検討されなければならない。

まず、連合国により戦犯として処罰された者の取扱いに係る法令の制定などについてみるに、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。すなわち、(1)昭和二〇年七月二六日、連合国は我が国に対し、「ポツダム宣言」を発して日本国軍隊の完全な武装解除と戦争犯罪人の厳重な処罰を含む無条件降伏をなすよう要求し、これを受け入れた我が国は、同年九月二日連合国に無条件降伏し、同月二〇日、大日本帝国憲法八条一項により「政府ハ『ポツダム宣言』ノ受諾ニ伴ヒ連合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」という勅令(勅令第五四二号、以下「ポツダム緊急勅令」という。)が発せられた、(2)昭和二一年一月四日、連合国最高司令官代理H・W・アレンは、日本国政府に対し、「好マシカラザル人員ノ公務ヨリノ解任ニ関スル件」と題する覚書を発し、ポツダム宣言を実行するため戦争犯罪人(釈放又は無罪放免されない限り戦争犯罪容疑者として逮捕された全ての者)等を罷免するよう命じた、(3)そこで、同年二月二七日、ポツダム緊急勅令に基づき、右覚書該当者を退官又は退職させる旨の勅令(勅令第一〇九号)が発せられたが、その一条一項は「昭和二一年一月四日附連合国最高司令官覚書公務従事ニ適セザル者ノ公職ヨリノ除去ニ関スル件ニ掲グル条項ニ該当スル者トシテ内閣総理大臣ノ指定スル者(以下覚書該当者ト称ス)ニシテ通常勅任待遇以上ノ者ノ占ムル官職ニ在ルモノハ退官又ハ退職セシメラレ爾後官職ニ就クコトヲ得ズ」と、またその三条は「覚書ニ基キ退官又ハ退職シタル者ハ内閣総理大臣ノ特ニ定ムル場合ヲ除クノ外公私ノ恩給、年金其ノ他ノ手当又ハ利益ヲ受クルコトヲ得ズ」とそれぞれ明定していた、(4)同月二八日、右勅令第一〇九号を施行するため閣令・内務省令第一号が発せられたが、その一条一項は「覚書該当者トシテ指定サレルベキ者ノ範囲ハ別表第一ニ依ル」と規定し、別表第一は一として「戦争犯罪人」を掲げた上、その定義として「戦争犯罪人容疑者トシテ逮捕セラレタル者但シ釈放又ハ無罪放免セラレタル者ヲ除ク」と規定した、(5)同年九月一七日、右勅令第一〇九号を受けて復員庁から「元海軍軍人軍属戦犯者(容疑者をも含む)身上及び諸給与の取扱ひに関する件通牒」が発せられ、戦争犯罪者として抑留・逮捕され又は有罪判決を受けた者は、連合国司令部又は現地部隊責任者から抑留・逮捕日を正式通告・報告された場合にはその抑留・逮捕の日に、その他の場合には有罪判決の日に、予備役編入、充員召集解除、免官又は解職になったものとしてその身上及び諸給与の取扱いを処理する旨定められた。

右の事実を踏まえて検討するに、ポツダム緊急勅令及びこれに基づくいわゆるポツダム命令は連合国の超憲法的権力に基づくものであり、超憲法的効力を有したものと解するほかはないから、原告は、被告主張のとおり、右勅令第一〇九号並びにこれを受けた閣令・内務省令第一号及び復員庁の「元海軍軍人軍属戦犯者(容疑者をも含む)身上及び諸給与の取扱ひに関する件通牒」に基づき、昭和二一年四月二六日に二〇年の戦犯刑が確定したことにより、同日付けで予備役に編入され軍人としての身分を喪失したと解するのが相当である。

なお、恩給法附則二四条の三第一項は、連合国により戦犯として拘禁されたものについて当該拘禁された期間を恩給算定の基礎となる在職年に加算することを認めているが、この規定は恩給法に特有のものであるから、これを類推して退職手当法を解釈することは許されない。すなわち、恩給法附則二四条の三第一項の立法の経緯をみるに、恩給法には当初、戦犯としての拘禁に配慮した規定は置かれていなかったが、ソ連、中国に抑留された未帰還公務員の抑留期間を普通恩給についての所要最低在職年限に達するまで基礎在職年に算入する改正が行われたことから、これとの均衡上、昭和三〇年法律第一四三号により恩給法附則二四条の三が追加され、拘禁前の公務員としての在職年が普通恩給についての所要最低在職年限に達していない者に限って、戦犯としての拘禁期間を右年限に達するまでその限度で在職年に加算することが認められ、次いで昭和四六年法律第八一号による改正で、右通算制限が撤廃されて拘禁期間を全て通算することが認められたのである。しかるに退職手当法においては、右のような恩給法の一連の改正にも拘わらず、戦犯としての拘禁に配慮した立法措置が全くとられていないのであって、このような立法経過及び恩給と退職手当の性質が異なることを併せ考慮すれば、立法者としては、むしろ、退職手当については恩給と同様の取扱いをしない趣旨と解するのが相当であって、これと逆に、退職手当法七条一項の原則に対する例外規定を創設するような類推解釈をなすべき根拠はないといわなければならない。

次に、原告の反論について検討するに、その(1)、(3)及び(4)については、前記のとおり、ポツダム緊急勅令及びこれに基づくいわゆるポツダム命令は連合国の超憲法的権力に基づくものであり、超憲法的効力を有したものと解されることに鑑みると、原告が主張するような事情によって原告の軍人たる身分の喪失が妨げられると解することはできず(仮に原告に対する軍事裁判が誤ったものであったとしても、そのことによって原告の軍人たる身分の喪失が妨げられることはない。)、また、その(2)についても、厚生省援護局長のこのような取扱いは恩給法附則二四条の三の規定に基づくものであって、これを根拠として退職手当法を解釈することが許されないことは、右に述べたことから明らかであり、原告の反論は何れも採用できない。

以上の検討によれば、昭和二一年四月二六日に二〇年の戦犯刑が確定したことにより、原告は同日付けで予備役に編入され軍人としての身分を喪失したのであるから、同日以降の原告が施行令附則五項が「政令で定める者」に関し掲げる何れにも該当しないことは明らかであり、したがって職歴④は退職手当算定の基礎となる勤続期間に含まれない。

三  そうすると、原告の職歴のうち、①、②及び④が退職手当算定の基礎となる勤続期間に含まれないとした被告の判断は正当であって、これとは反対の立場に立って退職手当の差額支払を求める原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 太田豊 裁判官 水上敏 田村眞)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例